2017年6月28日
2016年10月に公表された世界エネルギー会議(WEC)の「World Energy Scenarios 2016: The Grand Transition」は、世界のエネルギーに関わる産官学の関係機関・専門家から構成されるWECが3カ年をかけて策定、提示した、なかなか興味深いものです。その詳細は後段でご紹介しますが、その前に、「シナリオ」及びそれを形成していく過程である「シナリオプランニング」について、少し私見を述べさせて戴きたいと思います。
○「シナリオ」とは
シナリオプランニングは、石油メジャーのRoyal Dutch Shell社(以下Shell)が、将来の経営戦略立案のための手法として注目、確立したもので、Shellは石油危機の発生を(同手法の活用を通じて)戦略立案に織り込んでいたため、他社に比べて多くの損失を被らずに済んだ、として知られています。
日本におけるシナリオプランニング手法の第一人者であり、私どもの同手法の「師匠」でもある角和昌浩氏(注2)は、「シナリオ」なるものの特徴として、以下の3点を指摘しています。
① 未来のストーリー:シナリオとは、未来世界を物語るストーリーのこと
② 構造化:現在の世界が未来に向かって変化していくさまを、構造的に理解すること
③ 予測とシナリオ:シナリオは、予測とは異なる
とくに第3点については説明が必要でしょう。一般的ないし通常の将来予測では、過去から現在に至る推移とその傾向を将来に外挿することで、より蓋然性(実現可能性)の高い像を得ようとします。これに対して、シナリオでは無限とおりの「ストーリー」を編み出すことが可能であり、その取捨選択には蓋然性だけでなく「インパクト」が重視されます。
この「インパクト」を考える際に重要なことは、それが「誰にとって」のインパクトか、ということです。ある主体(たとえば、国、あるいは業種)にとってインパクトの大きなストーリー(シナリオ)であっても、シナリオを作り、それを用いて自らの戦略を考える主体自身にとってインパクトが小さい(もしくは、無い)ものであれば、それは考慮する必要がないことになります。つまり、角和氏の指摘する3つの特徴に加えて、私としては「主語がある」、つまり誰にとってのシナリオかを特定しなければ意味をなさない、という点を指摘したいと思います。
シナリオプランニング手法の詳細は、脚注に挙げた角和氏の「教科書」に譲りたいと思います。
○Shellのグローバルシナリオ
本題であるWECシナリオの前に、「本家」であるShellの世界シナリオを概観しておきたいと思います。
Shellが2013年に策定したNew Lens Scenarios(注3)は、21世紀に国際社会において展開されていく道筋を見通す「視覚(レンズ)」として、様々なトレンドや出来事を用いつつ、2つの像を描いています。
”Mountain”シナリオは、「今日影響力を持つ人々や組織によって権力が固定化されてゆく、現状維持の世界」であり、「社会システムの安定こそが最も重要であり、(中略)天然資源の開放を徐々にかつ慎重に行い、市場原理にのみ委ねないよう調整してゆきます。結果、社会経済体制は硬直化して経済は活力を削がれ、社会の流動性は抑制され」るという像です。
“Oceans”シナリオでは、「権力が広く委譲され、利害衝突は調整されてゆきます。ここでは妥協こそが最も重要なルール」となり、「経済活動は改革の大波に乗って高まりますが、社会の一体性は時に損なわれ、政治が不安定化します。そのため個別政策が停滞せざるを得ず、結果、市場原理による調整が大きな役割を果たし」ていくことになります。
当コラム『「地政学」について 』で紹介したゼイハン的世界観に照らすと、そして米国トランプ政権の姿勢なども考えると、少なくとも足下の動きは両シナリオの特徴を一部ずつ(各国が自国利害を優先することで現状が固定化されるが、個別局所の利害調整は市場原理に委ねられる)併せ持っているように思え、どちらの像に向かって進んでいくことになるのか、まだ見通せない印象があります。ここではこれ以上の詳細は割愛しますが、今後の現実世界の動きを読み解く鏡として有用な資料だと思います。
○日本の事例
日本でもシナリオプランニング手法が活用されたことは多くあります。エネルギー分野で恐らく最も有名なものは、エネルギー基本計画のベースとして策定される「長期エネルギー需給見通し」の平成17年(2005年)版「2030年のエネルギー需給展望」(注4)でしょう。
同報告書p.66に、日本が2030年に向けて進む4つのシナリオが提示されています。まず、自然体ではどのような道を歩むのか(現状趨勢シナリオ)を設定した上で、そこから「未来を分かつ分水嶺」として「技術の進展可能性と国民意識の変化」(イノベーションと環境意識は高まるか:自律的発展シナリオ)、「環境制約の顕在化」(エネルギー消費が増大するなかで環境制約は顕在化するか:環境制約顕在化シナリオ)、「国際経済社会の政治的安定性と資源枯渇の可能性」(資源を巡る国際的緊張が生ずることはあるか:危機シナリオ)を挙げています。p.67に、これら4シナリオの進展を図示した印象的なダイアグラムが提示されており、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。(注5)
○WECの世界シナリオ「大転調」
さて、WECのシナリオです。提示されたシナリオは、以下の3つ(注6)です。
各シナリオを最も特徴づけるキーワードを強調してお示ししました。とくに「ハードロック」の世界は、当コラム『 グローバルリスクの変貌 』で触れたユーラシア・グループ「2017世界10大リスク」の像とも重なるもののように映ります。
各シナリオの定量的分析の詳細は割愛しますが、各々のシナリオにおいて鍵を握る部門及び技術が詳細かつ鮮明に描かれ、エネルギーの全分野に係わる方、個別の分野や技術に係わる方のいずれにとっても有用な資料といえます。
ただ一点、この報告書の欠点とまでは言えないのですが、生来的な限界のようなことを、あえて指摘したいと思います。先に私は、シナリオには「主語がある」と申しました。これら3つのシナリオを描き、各々の得失、とくにインパクトとその蓋然性を評価できたとして、さて何をすればよいでしょう。足下の世界は、自国優先主義の強化と国際秩序の軽視ないし劣化という、優れて「ハードロック」シナリオ的な進行を辿っているように見えます。これが世界にとって受け入れ難いインパクトを伴うものであったと仮定してみましょう。このとき、今回シナリオ分析の主語であるべき「国際社会」ないし「人類」はどのような戦略を採るべきなのか、また採り得るのでしょうか?「世界」や「国際社会」といった主語は、遺憾なことですが、明確な(構成員に広く合意され共有された)意思を持ち得ないために、意外に参考になる余地が大きくありません。シナリオ分析はそれを考える出発点や境界条件に係る豊かな情報を提供しますが、解決策を編み出すにはまた別の考察を要する、という点は、忘れてはならないと思った次第です。