電力経済研究 No.69
2023年2月
建物脱炭素化に向けた取組の検討
―欧米の最新動向に見られる対策の広がり―
Study on Initiatives for Building Decarbonization:
Expansion of Measures Observed from the Latest Trend in Europe and the US
- キーワード:
- 民生部門
- 建物脱炭素
- 規制的手法
- 経済的手法
- 情報的手法
- 地域脱炭素
要旨
近年、野心的な脱炭素化目標の実現のために、民生部門の取組を促進する動きが各国で見られている。特に、再エネの調達や省エネだけでなく、エネルギー転換を伴う熱分野の取組が積極的に進められている点に特徴がある。また、中央政府だけではなく、州や自治体が主体となり、規制的、経済的、情報的手法等を含めた多様なアプローチが展開され始めている。本稿では我が国の政府や自治体での取組の検討に資するため、民生部門における欧米の脱炭素化取組の先進事例を手法別に整理し、報告する。本稿の事例から、(1)既存の省エネ制度をCO2削減も重視する制度へとアップグレードするなど熱分野の脱炭素化に取り組むものが多いこと、(2)経済性を考慮して受容性を高めた形で進めていること、(3)地域脱炭素化のためにリソース支援をしていくことの重要性などが示唆された。
1. はじめに
1.1. 背景・目的
我が国は2020年10月に当時の菅内閣によって2050年までにカーボンニュートラルに至ることが宣言され、2021年4月には、2030年度に温室効果ガスを2013年度比で46%削減する目標が示された。我が国のCO2排出量(2020年度)における民生部門(家庭・業務の合計)のエネルギー使用による排出量は33%を占めており(環境省 2022)、野心的な脱炭素化目標の実現に向けて民生部門の対策が不可欠である。民生部門については、これまで省エネ意識の向上や家電・機器の高効率化、断熱性能の向上等が重視されてきたが、例えば家庭のCO2排出量の5割を熱分野(給湯・暖房・台所コンロ)が占めることからも、熱分野の対策に早期に取り組む必要がある。2021年10月に閣議決定された第6次エネルギー基本計画においても、「非電力部門は、脱炭素化された電力による電化を進める」とされており、熱分野に取り組むことの重要性が認識され始めている。また、2021年6月に策定された「地域脱炭素ロードマップ」では、脱炭素を進める先行地域を支援することを表明しており、その選定要件の1つに「運輸部門や熱利用等も含めてそのほかの温室効果ガス排出削減」が挙げられている。しかし、その具体的な対策案が十分に検討されているとは言い難い。
一方、野心的な脱炭素化目標を掲げる諸外国では、民生部門の脱炭素化を促進する積極的な動きが見られている。そこでは「建物脱炭素化(building decarbonization)」という問題設定がなされており、再エネの調達や省エネだけでなく、熱分野のエネルギー転換の取組が進められている点に特徴がある。また、中央政府だけでなく、州や自治体が主体となり多様なアプローチが展開されている点も特筆すべきである。特に米国では州の権限が強いことや、自治体で新築建物を管理する意識が元々高いことなどから、規制等も含めた革新的な取組が展開されている。
野心的な目標を掲げているという面では我が国の政府や自治体も同じであり、諸外国の多様な取組から得られる知見は参考になる1)。著者らは2020年2月時点の先行調査(西尾・中野 2020)において、米国の州・自治体の脱炭素化政策の先進的な15事例をとりあげ、その背景や取組内容、ステークホルダーの反応、課題などを報告してきた。その後、米国や欧州では脱炭素化の動きが継続しており、地域的な広がりや取組対象の拡大、新たな政策手法などが見られるようになってきている。本稿はこうした諸外国での動きを手法別に整理し、報告する。その結果から我が国の脱炭素化に向けた示唆を得る。特に、我が国での課題となっている熱分野の取組や地域脱炭素の推進といった観点を意識して、これらの新たな動向を整理することは有用である。
図1と図2は調査対象の事例と地域を示している。その多くが脱炭素化に向けて野心的な目標を掲げている国や州、自治体である。その背景には、電力の脱炭素化も進んでいることや、環境対策に積極的な風土などが挙げられる。また、熱需要の多寡やヒートポンプの効率などの条件を幅広に捕捉するため、寒冷地の事例も含むようにした2)。
1.2. 本稿の構成
本稿は以下のように構成される。2章では建物脱炭素化の主要な取組を紹介する。2.1~2.3節では西尾・中野(2020)や向井(2022)にならい、環境政策の分野で用いられることの多い分類である規制的手法、経済的手法、情報的手法という区分で整理する(表1)。規制的手法は法律や制度などを変更し、要件に従う建物や設備等のみを許可する手法であり、建築基準等が対象となる。経済的手法は補助金や課税により消費者や企業の行動を変化させる。情報的手法は情報を提供することにより消費者や企業の行動を変化させる手法である。2.4~2.5節では、この3手法には分類しきれない、取組の環境を整備するような事例や、地域脱炭素化に向けた戦略策定や連携の事例を取り上げる。最後に3章では、欧米諸国の事例から得られる我が国への示唆について述べる。
2. 建物脱炭素取組の類型と主要な取組
2.1. 規制的手法
2.1.1. 新築電化義務
規制的手法のうちもっとも厳しいものとして、新築建物の電化を義務化するというものがある。新築電化義務は、米国カリフォルニア州バークレー市が2019年7月、米国初の条例を可決させたことが象徴的に取り上げられる(西尾・中野 2020)。同州サンフランシスコ市でも、2020年1月から公共建物を先行して新築電化義務にしていたことに加え、同じ年の11月に条例を改正し、2021年6月以降に新築されるすべての建物で電化義務が課された(City and County of San Francisco 2020)。同州サンノゼ市では2020年1月から新築の戸建や低層集合住宅を電化義務化しており、さらにその後の条例改正で、2021年8月からはほぼすべての建物に新築電化義務を課した(City of San Joseウェブサイト)3)。
電化に限るものではないが、欧州における新築建物の規制強化策として、オランダでは2018年に法改正があり、新築住宅や小規模事業所の建物はガス供給網に接続できないことを定めた(Climate Agreement Web 2019)。英国では新築住宅への規制強化案であるFuture Homes Standardが検討されている。そこでは2025年以降の新築住宅のCO2排出を現在の要件より75~80%低い水準に抑えることが求められ、「低炭素熱」でゼロカーボン対応させることが重視されている(UK Governmentウェブサイト)。
2.1.2. 新築電化推奨
規制的手法のうち、電化義務ほど強くないものとして、電化・非電化建物の間で省エネ性能や実施事項の要求水準に差をつけることにより、エネルギー転換を促進するというものがある。例えばカリフォルニア州サンフランシスコ市では、2020年1月時点では公共建物以外に電化推奨を課しており、中高層住宅や非住宅建物を新築する際には州の建築基準で定められた床面積あたりエネルギー消費量を10%下回る必要があった(西尾・中野 2020)(前述の通り、2021年6月以降はすべての建物で電化義務が課された)。
2.1.3. 新築電化レディ義務
新築電化レディ義務は将来的に容易に電化できる環境を整えておくことを新築時に求める規制である。具体的には、空調・給湯・調理機器の設置箇所や分電盤に専用回路を配線させ、将来の電気機器用である旨を表示させることなどがある。改修時に実施すると費用がかさんでしまうため、新築時に実施するほうが合理的との考え方である。例えば、米国サンノゼ市では2019年9月に制定した建築基準により、集合住宅に対して将来的に電気自動車を容易に導入できるようにする対策を求めている(EVレディ義務)(西尾・中野 2020)。また、カリフォルニア州においては、エネルギー委員会が2021年8月に州のエネルギー基準の改正提案(Energy Code 2022)を採択し、同12月に建物基準委員会で承認されたことで、自治体が主導してきた電化レディが州基準でも取り込まれた。住宅における暖房機器、調理機器、衣類乾燥機などを電気式機器に更新しやすくなるような措置である。エネルギー基準は3年サイクルで改正されており、今回の基準は2023年1月以降に建築される建物に適用される(California Energy Commission 2021)。
2.1.4. 新築建物の排出規制
政府が新築建物のエネルギー性能を規制する際に、GHG排出量に関する要件を加える手法である。フランスでは1974年から熱規制(Reglementation Thermique, RT)により、一次エネルギーの使用量をもとに新築建物の性能を規制してきた。しかし、2020年11月、GHG排出量による規制にアップグレードする方針を発表した。これは環境規制(Reglementation Environnementale, RE)と呼ばれる。2021年7月には政令が制定され、2022年1月から適用されている。新たな規制(RE2020)により、戸建住宅では2022年から排出原単位の上限が160kgCO2/m2/50年(以下同様)に設定されたため、ボイラー設置は困難となる。集合住宅では、ガス暖房が75%という現状も考慮し、2022年の上限値は560kgCO2という控えめな水準に設定され、段階的に引き下げられる(Ministere de la Transition ecologique 2021)。
2.1.5. 既築建物の省エネ・排出規制
中規模以上(面積2.5万平方フィート以上4))の既築建物(大半は既築の業務用ビルや集合住宅)については、米国ニューヨーク市でGHG排出規制が行われている。ワシントンDCでは大規模な建物(面積5万平方フィート以上の民間の商業ビル・集合住宅と、1万平方フィート以上の公共施設)におけるエネルギー消費量の報告・公表制度があったが、2024年から民間建物も1万平方フィート以上に対象を拡大する(西尾・中野 2020)。ボストン市では建物エネルギー報告・開示(Building Energy Reporting and Disclosure Ordinance, BERDO)制度から、建物排出削減・開示(Building Emissions Reduction and Disclosure Ordinance, BERDO 2.0)制度へアップグレードされ、中規模以上(面積2万平方フィート以上の業務用ビルまたは住宅戸数15戸以上の集合住宅)の既築建物について、2050年までの年間排出量の基準値を定めた。2025年から適用された後、5年毎に厳しくなり、2050年にはネットゼロ排出を求めるものであり、建物オーナーはエネルギー転換の検討を迫られる(City of Boston 2021)。
また、既築のオフィスビルへの規制という点で、オランダでは2023年からエネルギーラベルC5)以上を取得していないオフィスビル(全体の5割ほど)の利用を禁止することになる(Rijksdienst voor Ondernemend Nederlandウェブサイト)。
2.1.6. 燃焼機器の設置規制
米国カリフォルニア州カールスバッド市では、2019年に新築住宅のガス給湯器設置を制限する条例を定めた。条例により、新築される3階以下の低層住宅ではヒートポンプ給湯機と太陽熱温水器のみが設置を認められた(西尾・中野 2020)。ドイツでは2020年11月発効の建物エネルギー法により、2026年以降、石油・固体化石燃料ボイラーの設置を原則禁止する。ただし、ガスインフラがない場合や一定割合以上の再生可能エネルギーからの熱を利用できる場合に免除されることがある。設置後30年を超える石油・ガスボイラーの更新義務も継続する(BMWST, GEG-info などのウェブサイト)。
2.1.7. 再エネ政策との連携
エネルギー事業者向けの規制的手法である再エネ・代替エネ導入義務制度に、需要サイドの対策による排出削減効果を活用できるようにする手法がある。米国バーモント州では、2032年までに販売電力量の75%を再エネ(大規模風力は除外)で調達することを義務付けるRES(Renewable Energy Standard)を導入しており、その一部に需要サイドの化石燃料消費削減効果を組み込んである(西尾・中野 2020)。2020年の実績を見ると、対策としてヒートポンプ導入が最も多く、その他としてEV・PHEVとその充電設備の導入、蓄電池導入、建物断熱対策などがある(Vermont Department of Public Service 2022)。
2.2. 経済的手法
2.2.1. 導入補助
導入補助は機器を設置・交換する際の金銭的負担を軽減するものであり、我が国でも一般的に用いられる。米国で特徴的なのは、燃料転換を伴う場合や低所得者向けに補助額を優遇する場合などである。米国カリフォルニア州サクラメント市の事例では、ヒートポンプの低所得世帯への補助、燃焼機器から置き換える場合の補助、全電化リフォームへの補助、IH調理器への補助、電化改修の集合住宅オーナーへの補助、などがある。
カリフォルニア州は既築住宅におけるヒートポンプ給湯・空調の普及を促すTECH(Technology and Equipment for Clean Heating)や、低所得世帯向けの新築住宅の全電化を促すBUILD(Building Initiative for Low-Emissions Development)というプログラムを開始している。TECH/BUILDプログラムでは、商流において設備業者や建設業者などの中流に位置づけられる業者向けに補助を行っている(TECH Clean California Web、California Energy Commission Webなどより)。これは中流(midstream)インセンティブと呼ばれる手法である。例えば機器の交換に際しては、設備業者等の推奨が消費者の選択に大きく影響することから、業者のトレーニングなども含め、中流への働きかけが重要であるとされている。
また、米国メイン州は寒冷地でもヒートポンプ導入を進めている事例であり、2020年からは低所得者向けに2,000ドルの導入補助も始められた(西尾・中野 2020)。
2.2.2. 化石燃料インフラ接続への炭素課税
炭素税は、化石燃料の使用に対して課税をすることで低排出なエネルギーへの転換を促すものである。米国バーモント州バーリントン市では、新築建築物が化石燃料インフラに接続する際に炭素料金の支払いを義務付ける条例が提案された。州によるバーリントン市への権限付与の承認後、具体的な制度検討が進められている(Lyons 2022)6)。
2.2.3. 熱・輸送分野の国内排出量取引
ドイツは燃料排出権取引法(BEHG)により、熱・輸送分野の対策を強化するための国内排出量取引制度(nEHS)を2021年に創設した。熱・輸送分野は家庭や自動車保有者などCO2を排出する需要家が多いために、それらが直接排出量取引に参画するのではなく、ガソリン・ディーゼル・燃料油・天然ガスなど燃料流通業者が排出権を購入する制度となっている。2025年までの5年間は排出権の価格は政府により予め設定されるが、その理由は「排出量取引のすべての参加者にとって計画の安全性を確保するため」とされる(DEHSt ウェブサイト)。
2.3. 情報的手法
2.3.1. 需要家教育
需要家教育は、必要な情報を提供することによってエネルギーの需要家が自ら合理的な選択行動をとれるようにする手法である。米国ボルダー市では、これまでヒートポンプになじみのなかった寒冷地で快適性などの便益を強調した普及啓発キャンペーンである“Comfort365”を行っている(西尾・中野 2020)。
2.3.2. 人材育成
人材育成は、GHG削減技術を販売・施工できる人材を増やすことで導入機会の拡大や施工単価の低減を図るものである。カリフォルニア州のTECHプログラムやシアトル市の暖房用燃料課税の検討事例などに、持続可能な暖房・給湯機器の販売・設置業への移行を支援する取組が見られる。
2.4. 脱炭素化取組のための環境整備
規制的、経済的、情報的手法以外にも、脱炭素化取組を推進するための環境整備も重要となる。
2.4.1. 電化の位置づけの明確化
米国では省エネに積極的な州ほど、電気は電気の省エネ、ガスはガスの省エネといったように、それぞれの対策を徹底してきたという歴史がある。一方、個別の対策を追求する従来の省エネプログラムのあり方では、エネルギー全体でみて望ましい省エネ対策を講じにくいという矛盾も指摘されるようになってきた。そこで、エネルギー転換を促していくために、省エネプログラムの中に電化を明確に位置づける動きがある。マサチューセッツ州では2017年に省エネプログラムの根拠法を改正し、「戦略的電化」を実施対象に追加した。これにもとづいて、2019年には石油・ガス暖房からヒートポンプへ置き換える既築住宅への補助を新たに開始した。2022~2024年の省エネプログラム計画では電化が最優先事項の1つになった(Mass Save 2021)。
2.4.2. 評価手法の見直し
一次エネルギー消費量によって省エネを評価する場合に、電源構成の変化を反映して電気の評価を見直すことで、エネルギー転換を含めた省エネ対策がとりやすくなる。例えば、カリフォルニア州は省エネプログラム上で電気を一次エネルギー使用量に換算して評価する方法を見直した。従来は火力電源の平均を用いて一次エネルギーやCO2排出量を算出していたのを、全電源平均で与えるようにし、さらに、将来の再エネ拡大による変化を見越して評価するようになった。建物の設備は長く使われるため、現在のみではなくライフタイムで評価することが必要であり、そこに将来の再エネ拡大の影響を見込んでおくことは、全体として効率的な技術選択につながる(西尾・中野 2020)。フランスのRE2020においても、建物は長期にわたり運用されるため、電力の一次エネルギー換算係数は今後50年間の平均的な値で算定することとされた(Government of France 2020)。
2.4.3. 経済性評価の活用
米国では脱炭素化対策の社会的費用や家計への影響等を検証した報告書(Mahone et al. 2018; Hopkins et al. 2018など)が多く公表されており、経済性に関する知見が蓄積されてきている。また、米国メリーランド州では州の脱炭素化目標を達成するために電化やガスの脱炭素化などを活用した複数のシナリオを策定し、経済性の高い案の検討を行った。その結果は州の建物エネルギー移行計画の作成に反映されており、政策決定に直接結果が活用された点や、ガスの脱炭素化を含めた選択肢の中から比較検討を行っている点で特徴的である(Maryland Commission on Climate Change 2021)。
2.5. 地域脱炭素に向けた戦略策定・連携
2.5.1. 既築対策の包括的戦略の策定
米国バークレー市では新築電化義務が象徴的に取り上げられてきたが、住宅のストックの大部分を占める既築建物の対策が急務となっていた。そのため、2021年11月には既築建物の電化戦略をとりまとめている。すぐに制度の改正等につながるものではないが、政策のアイデアを整理している資料として参考になる(City of Berkeley 2021)。表2にその概要を示す。
電化戦略は、①買い替え・改修時、②売却時、③建物性能基準、④地区電化・ガス切断、という4つの基本戦略からなり、以下の2つの特徴がみられる。第一に、規制的手法、経済的手法、情報的手法が組み合わされている。例えば、①では交換時のヒートポンプ採用の義務化などの規制的手法、ヒートポンプ空調・給湯機への補助金などの経済的手法、電化の便益やガスフェーズアウトについての教育などの情報的手法などが挙げられている。第二に、4つの基本戦略のうち①②は、買い替え・改修時、売却時といった、機器の交換等の対策がとりやすいタイミングをターゲットとしており、消費者に比較的受容されやすいことを目指している。また、2045年までにすべての建物を電化することを目標に、2021~25年のフェーズ1、2022~30年のフェーズ2、2027~45年のフェーズ3と、3つのフェーズにわけて段階的に対策を進めることを提案している。同市では2030年までに化石燃料フリーを実現するという目標を掲げているが、費用分析やコミュニティとの議論を踏まえて、既築については長期のタイムラインを提示している。つまり、新築に比べて対策のハードルが高い既築建物では、適切なタイミングを捉えて対策を打つことに加え、比較的長期のスパンで計画しておくことの重要性が示唆される。
2.5.2. 地域脱炭素に向けた熱移行計画策定要請
オランダでは国として脱炭素化対策の方向性を明確に示す一方で、既築建物の対策においては自治体の役割を重視しており、およそ300あるすべての自治体に天然ガスからのフェーズアウトを行う計画(熱移行計画)の策定を求めた(Climate Agreement Web 2019)。自治体は建物のストックの特性などを考慮し、ヒートポンプや熱供給ネットワーク、バイオガスなどの選択肢の中から、経済性の高い対策を地区ごとに特定して計画を策定することが求められており、国もガイドラインを設けて支援する。熱分野の対策に明確に取り組む点や経済性を重視する点はいずれも特筆すべきである。また、そのための知見を地域の実証事業の中から蓄積し、横展開していくことが目指されており、脱炭素化のための先行的な事業を支援するプログラムが実施されている(ガスフリー地区プログラム、表2)。
2.5.3. 地域・事業者間の連携
地域の脱炭素化においては自治体が必ずしも十分なリソースを有していない場合があり、地域や事業者などの連携が鍵になる。表3では3つの事例を示している。
米国都市気候チャレンジ(ACCC)は、ブルームバーグ慈善団体が都市による気候変動対策を支援するために2018年に開始された取組である。総額約7千万ドル(約80億円)の活動資金を2年にわたって提供していた。25都市を選定し、建物・運輸部門などの専門知識を有するパートナーの協力のもと、参加都市に対して気候変動対策にかかる技術支援やサポートパッケージを提供した。支援の結果、建物脱炭素化に向けた自治体の条例制定などに貢献した(Bloomberg Philanthropies ウェブサイト)。
BayREN(Bay Area Regional Energy Network)はサンフランシスコベイエリアの9つの群において省エネを推進するため、2012年に設立された地域エネルギーネットワークである。ベイエリアの自治体協議会が主導する組織であるBeyRENは、2020年には従来の省エネ対策を補完するものとして、戸建・集合住宅の電化を促進する補助プログラムを新たに開始した(BayREN ウェブサイト)。
Beneficial Electrification League(BEL)は地方の電化推進を支援する非営利団体である。主に地方の電気共同組合の業界団体が中心となって2018年に設立された。「消費者の費用を長期にわたり削減する」「環境に便益をもたらし、温室効果ガスの排出を削減する」「製品の品質や消費者の生活の質を向上させる」「電力系統をより強固でレジリエントなものにする」という4つの項目を設定し、少なくとも1つにプラス影響を与え、かつ残りの項目にマイナス影響を与えないものを「有益な電化(beneficial elec-trification)」と定義し、ステークホルダーとの対話や該当する実証プロジェクトへの補助などに取り組んでいる。建物の電化に関するプロジェクトも多い(BEL ウェブサイト)。
3. 我が国への示唆
既往報告(西尾・中野 2020)では、脱炭素化に関する米国の先進事例から「建物脱炭素化という政策目標の設定」「再エネ主力電源時代の建物の姿」「省エネ政策のチューニング」「建物脱炭素化の促進策」「社会的受容性」という、5つの点について示唆を得た。本稿ではこのうち、建物脱炭素化という政策目標の設定、促進策、社会的受容性に関連し、以下の3点を指摘したい。
3.1. 熱分野の脱炭素化に取り組む必要
欧米諸国では国や州・自治体が掲げる高い脱炭素化目標の実現のために、建物脱炭素化という政策目標を設定しており、再エネ調達や省エネだけでなく、熱分野(給湯・暖房・台所コンロ)への取組を進めている。我が国においても建物脱炭素化という目標設定により、熱分野への取組を進めていくことが肝要である。導入補助といった経済的手法は我が国でもすでに多く実施されている一方、諸外国では野心的な脱炭素化目標を達成するための実効性のある手段として、規制的手法も導入されてきている点には注目すべきである。本稿で取り上げた事例からは、フランスの環境規制、ボストン市の既築建物排出規制などのように、既存の省エネ制度をCO2削減も重視する制度へとアップグレードするなど、規制的措置を時代の要請にあわせて見直すアプローチが見られた。また、BayRENやマサチューセッツ州のようにこれまでの省エネ対策の知見を活かし、電化促進を補助対象にできるように取組をアップグレードしようとする動きもある。サンフランシスコ市では、公共建物など比較的取り組みやすい対象を規制することからはじめ、その後すべての建物に規制範囲を広げるなどの工夫も見られた。
我が国でも、2022年に建築物省エネ法が改正され、2025年までに施行されるとすべての新築住宅・非住宅に省エネ基準適合が義務付けられるようになった。しかし、住宅断熱性の向上が主眼であり、建物脱炭素化を実現するには不十分である。「脱炭素社会に向けた住宅・建築物における省エネ対策等のあり方検討会」により作成されたロードマップも、住宅断熱性を始めとする省エネ性能の向上や再エネ普及の検討を深めるものとしては評価できるが、脱炭素化のために諸外国が熱分野に取り組んでいるのと比べると、十分な内容ではない。東京都のように新築建物へのPV設置義務化を検討する例が出てきているが、カリフォルニア州はPV設置のみならず、電化レディも義務化するなど、熱分野への対策も重視している。相乗効果という点で、再エネ普及と電化を同時に行うことで、炭素排出を抑えた高効率な熱サービスを実現させていくことが有効である。さらに、住宅断熱性向上と電化を同時に行うことで、電力系統への負荷を抑えた高効率な熱サービスを実現させていくことも、長期的に求められる。
3.2. 経済性の考慮が重要
必要な対策を選ぶにあたり、経済性を考慮することが重要である。米国で規制的手法が採用された時期には、エネルギー転換を進めることにより社会的費用が小さくなる点や、消費者の経済的負担が大きくならない点を検証するレポートが様々な機関から提示されている。また、先に十分な投資をしておくほうが、あとから改修するよりも経済的かつ実施容易なことが、電化レディを建築基準に取り入れる根拠となっている。バークレー市の既築対策の事例で買い替えや改修時、売却時のタイミングをとらえた対策が強調されているのも、費用対効果を高めることを目指しているためである。メリーランド州の事例では、ガスの脱炭素化や電化などの取組の経済性を比較し、政策検討へ活用する取組がみられた。また、BELの「有益な電化」の要件には「消費者の費用を長期にわたり削減すること」が付されている。
我が国においても、建物脱炭素化の費用対効果を踏まえ、社会的受容性の高い手法の検討が必要である。エネルギー転換には初期投資がかかるが、ランニングコストが軽減される便益などを考慮すれば、結果として総費用を抑えられる場合もある。経済性についての知見が少ないことで、こうした本来安価であるはずの対策が十分に進まない場合もあると考えられる。山田・西尾(2023)の経済性分析では、脱炭素化を実現する場合にできるだけ費用を抑えた形で給湯機器交換等を進めることで、現状維持の場合より総費用が削減されることが示唆されている。それでもなお、長期的には経済合理的でも初期投資の大きい機器は採用されないといった課題がある。導入補助は、このような省エネバリアを克服するための政策手法である。米国カリフォルニア州の事例では補助対象者を下流(エンドユーザー)から中流(卸売業者・施工業者)へシフトさせるなど、政策としての費用対効果を上げるための試みが進められている。エンドユーザーだけではなく業者の行動も機器選定に影響を与えている実態(西尾・山田 2023)を踏まえながら、我が国でも効果的な補助制度の活用のあり方について検討の余地があるだろう。
3.3. 地域脱炭素化のためにはリソース支援が必要
自治体が脱炭素化対策を行う上で十分なリソースを有していないことは、国内外を問わず指摘されてきた。この課題に対応するため、米国ACCCの事例では自治体への技術支援やサポートパッケージを提供しており、費用分析、ストック分析で技術協力をしている。オランダは国として脱炭素化の方向性を明確に示した上で、既築の建物については自治体の役割を重視している。その場合にも、自治体が必要とする情報やガイドラインを国が整備するとともに、国が先行的な取組を支援し、知見を横展開することを目指している。
我が国でも環境省の地域脱炭素ロードマップが、2025年までに100箇所以上の脱炭素先行地域を選定し、先駆的な取組を支援するという方向性を示している。しかし、熱分野は「運輸部門や熱利用等も含めてそのほかの温室効果ガス削減」に含まれる形で要件になっており、実際に採択された先行地域の事例をみてもエネルギー転換を含む熱分野への取組は不十分である。そのためにも、国として熱分野の脱炭素化について明確な方向性を示すとともに、それに合致するような地域脱炭素化取組を先行地域としてリソース支援し、知見を広く共有して横展開につなげていく必要がある。
参考文献
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https://criepi.denken.or.jp/jp/serc/periodicals/no69.html
- 1)例えばカリフォルニア州では、2050年までに州のGHG排出を1990年比で80%削減するという目標を掲げ、2045年までのできるだけ早期にカーボンニュートラルを目指すとする州知事命令を出している。民生部門のGHG排出量が占める比率は我が国と同様の水準である(電力に起因するものを除いて1割ほど(California Air Resource Board))。
- 2)なお、本稿では代表的な事例を取り上げており、図1や図2で示されていない国・地域でも取組がある。
- 3)2020年1月時点では、非住宅と高層集合住宅で新築電化推奨かつ電化レディ義務であった。
- 4)1平方フィートは約0.093平方メートル。
- 5)面積当たりの一次エネルギー消費量で評価されている。
- 6)炭素課税に関連するものとして、米国シアトル市では、2023年1月から暖房用燃料の販売量に応じて石油販売業者に課税($0.236/ガロン;140円/$換算すると8.7円/L)し、その税収を低所得世帯のヒートポンプ普及支援や、石油サービス業からの移行支援に活用することが検討されていた(西尾・中野 2020)。この暖房用燃料課税は新型コロナウイルス拡大の影響も考慮して施行が延期された後、2022年11月の市議会で廃止が可決された(Seattle City Web)。
中野 一慶(Kazuyoshi Nakano)
電力中央研究所 社会経済研究所
西尾 健一郎(Ken-ichiro Nishio)
電力中央研究所 社会経済研究所(兼)グリッドイノベーション研究本部