2016年7月1日
2016年6月23日に実施された国民投票(注1) の結果、英国はEUからの離脱を僅差で支持しました。この結果を受けて、世界各国の政治・経済・市場に影響が及んでいます。
既にいろいろな報道や見解が出ていますので、太宗はそちらに譲るとして、ここでは日本からみて留意すべきことのうち、あまり言及されていないように思われる論点に絞って、論じてみたいと思います。
○「庶民の不満のマグマ溜まり」は汎世界的傾向
前回のコラム(注2)に書きましたが、米国の「トランプ現象」を支えているのは国内や自らの状況に不満を持ち、とくに国内の経済格差の解消を求めている層です。
英国でも、EUからの離脱に票を投じた市民の多くは、英国内に流入する移民に職を奪われ、EUという枠組みの中で他の加盟国に産業を奪われた、という被害意識や不満から意志表示したように見受けます。
ジョンソン前ロンドン市長ら離脱派が、離脱により様々なメリットが実現すると喧伝したこともあり、そのような不満の格好のはけ口になり、想定外の暴発をしたものと考えられます。
そして、前回コラムにも書きましたが、どうもこれは一過性のものとは思えない、しかも汎世界的な傾向なのではないかと思われるのです。
今後、日本でも、あるいはもしかすると世界中のどこであっても、同じような「不満のマグマの暴発」が起こり得る、そのような社会的に極めて不安定な時代に入ったのではないかという懸念を強くしております。
○問題は物流と市場の分断
英国がEUから離脱した場合、問題となるのは、統一されていた市場の下に保証され実現されていた円滑な物流が、種々の手続きや関税などにより阻害され、滞ることです。
物理的な財の流れだけでなく、統合していた市場が分断されれば、資金等の流れにも支障を来します。そのような実際の支障や、悪影響の可能性が高まれば、為替や価格を一層不安定化させるでしょう。最悪の場合には、金融機関の間で、国際的な流動性危機を生じてしまうかもしれません。
注目すべきことは、もちろんリスクの幅は大きいのですが、当の英国が被るであろう影響は、存外大きくないかもしれないという点です。
英国の先行きが懸念されればポンド下落をもたらすでしょうが、今回の問題は英国の実体経済やその実力と無関係に起こっているので、ポンド下落そのものの直接効果としては、英国の輸出を増加させます。
もちろんその際に、英国からの資本流出がどの程度起こるか、企業や家計のマインドがどの程度落ち込むか、などの副次要因も作用しますが、同時にEU独自の規制から離れることのメリットも作用する可能性があります。
結局、一連の騒動で最もインパクトを被るのは、世界市場での主要プレイヤー、米国や日本ももちろんですが、中でも英国の輸入額で既に最大のシェアを持ち、実際に最近英国との関係を強化してきた中国である蓋然性が高い、とさえ言えると思います。この点は、この後の論点でも触れます。
○英国のしたたかさを侮るなかれ
偏見を恐れずに言えば、英国が紳士の国であると称したのはどなたでしたでしょう。私見では、政策的な失敗を繰り返し、その度に懲りることなく朝令暮改を重ねる国だと思っています。
私自身の以前の専門に照らせば、放射性廃棄物処分などはその典型でした。電力自由化についても、料金メニューが多様化した後に1社4つまでに集約するなど、例の枚挙に暇がありません。
ただし、失敗を重ねつつも、ただでは起き上がらないしたたかさを持ち合わせている点は、忘れてはならないと思います。
今回の状況について言えば、2015年10月の中国・習近平国家主席の訪英(注3)の際に、人民元建て英国国債の発行(中国政府以外では世界初)で合意しています。
当時は二国間の関係強化の一環として合意されたものでしょうが、前項で述べたように、英国発の混乱の結果中国が最大の悪影響を受けたとしたら、どうなるでしょう。人民元の価値が下がれば、元建ての英国債の価値も下がります。
直近の大混乱を意図したかどうかはともかく、人民元建て英国国債の発行は絶妙なヘッジ戦略となったのです。また、この訪英に合わせて、EdF Energy社が推進するHinkley Point C原発事業に中国CGN社が大規模出資する合意も成立しました。
人民元暴落のような事態に至ればこちらは破棄もあり得るでしょうが、そもそもフランスと中国の企業間の合意、しかもポンド建てであり、少なくとも出資契約の破棄によって英国側が損失を被ることはない理屈になります。
もちろん、Hinkley Point C原発が実現しない結果になればその損失は大きいですが、CGN社以外の提携先を探す途もあるでしょう。
○今後の留意点:過度な恐れは禁物だが、中期的な注視は不可欠
さて、全体を鳥瞰して、いくつか付言したいと思います。
まず、今回の衝撃が大きいゆえに、リーマンショックと同じ、いやそれ以上の破局的事態を招くとの意見もありますが、その恐れは小さいのではないでしょうか。
私自身既にそのようなリスクに言及してはいますが、それは「風が吹けば桶屋が儲か」った結果であって、少なくとも発端時点で英国やいずれの国・地域の実体経済も傷んではいないことは忘れるべきでない。むしろ、風が吹いた結果、どのような波及が起こるか、中長期的ないわばボディブローのように効いてくる影響に注視すべきです。
実体経済の傷みがない、という点からは、電力・エネルギー分野への直接の影響は当面はほとんど無いと言えます。しかし、時間経過につれた波及の程度によっては、資源価格への影響などいろいろなことも起こり得ます。
既に指摘したとおり、海外からの投資への影響(注4)、とりわけ原子力発電事業への影響が、最も懸念されるものと想像されます。
国際政治の面では、地域や国家の分断への波及が心配です。
既にスコットランドがEUへの残留を希望し、EU各国首脳との協議を試みていますが、スコットランドや北アイルランドの「英連邦からの独立」の希望ないし主張に「EUへの残留」という一種の正当化の論理もしくは方便を与えた点は、同様の火種を抱えるスペイン(バスク地方)などからみても無視できないものです(注5)。
EUそのものについていえば、本当に英国が離脱してしまえば、ドイツの「独り勝ち」状況を一層強化してしまいかねません。もともと国力に差がある国々を統合し、とりわけ統一通貨で縛ってしまえば、国力に富む国・地域がますます栄えることは自明の理でもありました。
英国の存在は多少なりともそのような国力のバランスを調整もしくは緩和するはずでしたが、英国が抜けてしまえば、ドイツに対してそのような役割を果たせる国はフランスしかありません。既にオランド・フランス大統領はその役割を果たす意志を示しています(注6)が、実行力が試されます。
振り返れば、独仏の諍いの歴史に終止符を打とうとしたことが、EUの発端です。この文脈に照らせば、元々英国は対岸で火事を見守っていたに過ぎず、EUへの加盟の際の目的も、欧州地域の平和実現よりも経済的利得の追及にありました。
そう考えれば、今回の結果は「暴発」だとしても、経済的に割に合わないと思えば、離脱はいつでも十分にあり得る選択肢だったのです。
EUを冷静に眺めれば、富んだ国が税を納め、中央政府がそれを貧しい国に配分する、言わば地方交付税交付金制度を欧州大で実施しているといえます。負担の大きい国が不満を抱き、脱退を模索することは、常にあり得るのです。
EUという壮大な社会実験が今後どのような推移を辿るか、注意深く興味深く見守りたいと思います。
おわりに:「エネルギー地政学」の地平を見据えて
前回と今回、アメリカ、英国の最新事情の読み解きを試みました。
私ども社会経済研究所では、このような国際政治とその力関係、いわば「地政学」は手薄な分野であり、温暖化の分野で尽力している上野主任研究員や私が、個人的な経験と知識に基づいて、細々と取り組んできたに留まります。
しかし、ますます混沌とする国際情勢をみるに、電力・エネルギー分野を中心とする「エネルギー地政学」の基盤強化の必要を感じています。
このあたりについては、関係の方々とも議論させていただきながら、中期的な取り組みを進めたいと考えています。皆様のご指導ご鞭撻をお願い申し上げる次第です。