2016年6月8日
最近ある社の経営層の方から「トランプ候補が大統領になったら、米国のエネルギー政策はどう変わるか、そして日本にどのように影響するか」という問いかけを頂戴しました。
その場では明瞭なお答えができませんでしたが、研究所に持ち帰り、地球温暖化政策の観点で米国大統領選の帰趨にも注目していた上野貴弘主任研究員の知見を借り、私見や偏見も幾分交えつつ、下記のような見解をとりまとめてみました。
なお、上野主任研自身による、トランプ候補のエネルギー・環境政策についての見解は、電気新聞2016年6月8日刊最終面「グローバルアイ」(注1)に掲載されていますので、併せてご覧下さい。
エネルギーに限らず、広範な政策分野にわたって、トランプ候補の主張は、選挙戦序盤の過激な要素が徐々に影を潜め、共和党主流派の意向を汲み始めつつあるように感じられます。これは、(他の候補者から自らを差別化し、凌駕することで)共和党の大統領候補として指名を得る局面から、民主党の大統領候補(注2)との直接対決で勝利するべき局面に移行し、戦術を徐々に変えているといえるでしょう。
ことに、もし大統領に選任されれば、共和党選出の大統領といえども議会共和党との融和を図る必要があり、これを見越して共和党の本流とされる人脈とその主張に接近しつつある。ということは、「トランプ大統領」就任後の施策は、共和党の従来路線に近い方向に収れんしていくのではないか、少なくとも共和党主流派との様々な妥協が多く図られていくのではないか、と予想されます。
トランプ氏のスローガン「Make America Great Again(偉大なるアメリカを取り戻せ)」にも示されるように、その政策的主張の根幹は「アメリカ第一」、つまり国内産業と雇用の保護、自国防衛の維持を最優先とする一方で、対外的には国益を最優先した孤立主義を取ります。
前者については、選挙戦初期の過激な発言(注3)として、メキシコからの不法入国者を抑止する「万里の長城」の建設(その資金をメキシコに負担させる)や、イスラム教徒の一時的入国禁止が喧伝されましたが、その目的は国内の治安と雇用を守り、経済損失を補てんさせる点にあると説明しています。
後者について、日本の軍事的貢献(及びその一環としての核武装の可能性)に触れる発言もありましたが、必ずしも日本だけを照準としているわけではなく、アメリカは以前のような「世界の警察」機能は果たさない、という宣言と裏腹に、日本を含む各国に応分の貢献と負担を求めていると理解されます。
さて、エネルギー政策です。2016年5月26日のノースダコタ州での演説(注4)は、トランプ氏がこれまで必ずしも明言していなかったエネルギー・環境政策の具体的方針を明らかにしたものでした。詳細は上記電気新聞記事に譲りますが、上記スローガンにも沿う「アメリカ第一エネルギー計画」の策定を提唱しました。
その要点は2つあります。
(1)は、上記の政策全般に通暁する「国内的な保護主義」に通じます。(2)については、別の場では異なる表現を取った(注5)こともあり、一方的な離脱を言い募りつつも、交渉と規定の修正次第では協定に残る可能性も示唆しています。
では、「トランプ大統領」後のアメリカは、日本にどのような影響を及ぼすでしょうか。
まず最初に明記しておきたいのは、トランプ氏が発言を翻す可能性が常にあり、よって現時点でそのエネルギー・環境政策が見通せたとは言えない、という点です。
上記5月26日の演説も、シェール革命で原油生産が急増したノースダコタ州でのものです。時と場所が変われば、発言の内容も変わりうることも予め念頭に置くべきでしょう。また、現時点で個々のエネルギー源や電源の選択といった個別具体的な情報に乏しいため、日本の電気事業者としてどうすべきか、というところまで踏み込んだ読み解きは難しいのが正直なところです。
その前提で、トランプ氏が成功した実業家であり、判断基準はあくまで費用対効果、主たる戦術は常に大局を睨んだ交渉であることを、第一に挙げたいと思います。軍事面等もそうですが、エネルギー分野においても通商問題に絡めつつ、日本に対して多様な要求を突き付け、最大限の譲歩を迫る可能性があります。予め周到に反撃の材料を用意し、粘り強く交渉する姿勢と覚悟が求められるでしょう。
ただ、「トランプ現象」が一過性のものではなく、トランプ候補が敗れたとしても、同様の現象は繰り返し発生し、いずれは米国の主流になっていく可能性を、現時点である程度織り込んで、対米のみならず国際的な戦略を練っておくべきであることも指摘したいと思います。
トランプ候補を支持した層は、現状及びそれを形作った既成の政治家に不満を持つ人々が中心です。これらの人々は、国内の経済格差の解消を求めており、「世界の警察」など国際秩序の番人としての役割を期待していません。
今回の予備選は、こうした層が厚みをもって存在していることを明らかした点で注目すべきと言えます。今後、選挙で勝つことを目指す政治家は、自身の主張をこの層に配慮する方向に軌道修正し、展開していく傾向が強まるものと予想されます。
このことを前提にすれば、日本のエネルギー政策としては、米国の中東地域への軍事的関与が弱まることで燃料資源需給に悪影響が及ぶ、ないしそれへの資金面その他の支援の強化が要請される、という両面の可能性が、まず気になるところです。
しかしながら、もしかするとそれ以上に影響が大きいかも知れない波及として、これまで日本が(エネルギー・環境分野に限らず)政策を考え、策定してきた際に最も重要視してきたベンチマークの一つが消え去ろうとしている、とさえ言えると思います。
この予想が正しいとすれば、ごく近い将来、日本は米国との協調や追随によるのでなく、自ら定める確固とした哲学や理想に基づく政策を立案し、世界各国に提示して行かなければならない状況に直面します。
温暖化防止の長期目標を例に挙げるまでもなく、米国をはじめ諸外国がそうしているから、ではなく、何故日本が自国の排出削減目標を、あるいはエネルギー源のシェアをある比率とするのかを、全て自らの言葉で説明し切らなければならないのです。
もちろん最後の部分は、私個人の妄想に近いものがあります。しかし、米大統領選の結果(より根源的には、米国社会の変質)によるか、全く異なる他の要因によるかはともかく、エネルギー政策を規定する根本的なベンチマークや境界条件が突然崩れ去る可能性は、小さくないように感じられるのです。この点については、機会を改めて述べてみたいと思っています。