2019年11月5日 |
2019年11月4日(米国時間)、米国のポンペオ国務長官は、パリ協定からの脱退を正式に通告したと発表した(注1)。トランプ大統領は就任直後の2017年6月1日にパリ協定から脱退する意向を表明したが、協定の規定上、脱退を正式に通告できるのは、協定発効日から3年後の2019年11月4日以降であり、大統領の脱退表明後も、形式的にはパリ協定の締約国であり続けた。パリ協定は、脱退が効力を有するのは通告から1年後と定めており、米国の脱退が確定するのは、2020年11月4日であるが、奇しくもその前日には大統領選挙が実施される。そして、今回の脱退通告が持つ意味合いは、来年の大統領選挙の結果次第で変わることになる。以下、この点を詳しく述べる。
1. 来年の大統領選挙で政権交代すれば、離脱は短期間に留まる可能性大
米国では2020年11月3日に大統領選挙が行われるが、その際に民主党候補が勝利すれば、新大統領は2021年1月20日の政権発足後にパリ協定に復帰するものと予想される。現在、来年の選挙に向けて、民主党の候補者争いが続いているが、候補者全員がパリ協定を支持し、有力候補者はパリ協定復帰を当然のこととして明言していることから、政権が交代すれば、協定復帰はほぼ確実である(注2)。
しかも、政権交代を印象付ける観点から、速やかな復帰(手続きとしては再締結)を目指すものと思われる。オバマ前大統領は、大統領と行政府の既存権限でパリ協定を実施可能と判断し、通常の条約批准に必要な連邦議会上院の承認を得ずに、パリ協定を締結した。政権が交代する場合、新大統領は同じ考え方で協定を再締結できると考えられ、手続き上のハードルは低い。大統領が意思を固めれば、協定再締結の手続きを速やかに開始できる。
ただし、復帰に向けたハードルが全く存在しない訳ではない。パリ協定の締約国はnationally determined contribution(NDC)と呼ばれる削減目標を掲げる義務を負っており、2021年の時点では、2030年目標を掲げることが求められている。民主党の有力候補者は、たとえばバイデン前副大統領が2050年までのネットゼロ排出を掲げるなど、野心的な長期目標を公約しているが、2030年の削減目標には踏み込んでいない。パリ協定を再締結する際にはNDCを提出する必要があるが、一定の政策的な裏付けがある形で2030年目標を設定するためには、政権交代後、しばらくの時間を要するだろう。ただ、2021年時点で2030年目標を掲げることは期待されているものの、法的な義務ではないことから、暫定的にオバマ前政権が提出した2025年目標(2005年比で26〜28%削減)をNDCとして掲げつつ、半年や1年といった期間のうちに2030年目標を提出する意向を表明するといった方法で、まずは手続き上、再締結を先行させることは可能であろう。
協定の規定上、再締結の手続き開始から30日後に復帰は効力を有する。今回の米国脱退が効力を持つのは2020年11月4日であるが、仮に来年の選挙で民主党候補が勝利し、2021年1月20日の新政権発足と同時に復帰を通告すれば、離脱期間は3ヶ月半に留まる。そうなれば、米国脱退による悪影響は限定的な範囲に留まる。
2. トランプ大統領が再選される場合は協定離脱が長期化も、その影響度は未知数
他方、トランプ大統領が再選されれば、パリ協定に自ら復帰するとは考えにくいことから、少なくとも政権2期目が終了する2025年1月までは離脱が継続する可能性が高い。また、パリ協定に限らず、気候変動対策全般についても、消極的あるいは否定的な対応が続くことになる。
協定離脱や政権の消極姿勢の長期化は、米国の気候変動対策に確実に悪影響をもたらすが、その影響度がどの程度のものとなるかは、単純には見通せない。2017年6月1日の脱退表明後、パリ協定を支持する州・自治体や民間企業の連合体が形成され、公的年金基金などの金融界のプレーヤーが投資先企業に対してパリ協定に沿った長期目標を掲げるように要求するなど、脱退表明に対する反動とも言える動きが続いてきた。こうした潮流の中で、強大な政治力を有する石油メジャーも、以前と比べて気候変動対策に積極的な姿勢を示すようになっている。また、若年層や民主党支持者は近年、気候変動に対する懸念度を強めており、積極的な対策を後押ししている(注3)。最近では、共和党支持者の一部からも気候変動対策に前向きなるべきとの声が上がるようになっている。他方、気候変動対策に熱心ではない州、企業、多数の共和党支持者はトランプ政権の姿勢に寄り添い、トランプ政権自身も支持者の声に応える形で、オバマ前政権が導入した温室効果ガス排出削減のための諸規制を撤廃しつつある(注4)。トランプ大統領が再選され、協定離脱が長期化した場合に、気候変動対策に対する積極派と消極派の分断がより固定的になるのか、積極派の攻勢によって消極派がさらに切り崩されていくのかは予想が難しい。
また、ブッシュ元大統領は就任した2001年に京都議定書からの離脱を表明し、その後も気候変動対策に消極的であったが、任期8年のうちの最後の2年間については、それ以前と比べて、やや積極的な姿勢に転じた。トランプ大統領も選挙を意識する必要性がなくなる2期目後半には、多少なりとも態度を変える可能性はゼロではない。
国際的には、米国の離脱長期化による悪影響が生じうるが、世界全体の温暖化対策を揺るがすほどの事態になるとは想定しがたい。2017年6月1日の脱退表明時には、日本を含む他の多くの国々が、パリ協定に引き続きコミットしていく意思を示した。パリ協定は自国の削減目標を自らの意思で決定する仕組みを取っており、自国で決めたものを他国の後退だけを理由に変えるのは説明が付きにくいため、構造的に、脱退・後退のドミノ倒しにはなりにくい。
ただし、時間をかけて顕在化する悪影響はありうる。パリ協定の下では、2020年から2024年にかけて、途上国に対する資金支援の目標を交渉することになっているが、離脱が長期化する場合、米国はこの交渉に参加しないことになる(注5)。米国抜きでの資金目標の設定は不可能ではないにせよ、容易ではない。トランプ政権が発足した2017年以降、米国は途上国支援の負担を実質的に担っておらず、欧州諸国を中心とする他の先進国に負担がしわ寄せされているが、いつまでこの状況を是認できるかは未知数である。
また、2025年の初め(※同年のCOPの9〜12ヶ月前)には、2030年目標の次の目標を提出することになっている。その目標年が2035年となるか2040年となるかは今後の国際交渉次第であるが、2050年が視野に入る時期であることから、米国に限らず、すべての国に対して、「温度上昇を2℃未満に抑え、1.5℃以内に収まるように努力する」というパリ協定の長期目標との整合性が一層強く問われる状況となるだろう。次々回の大統領選挙は2024年11月に実施され、その結果を踏まえた政権は2025年1月に発足するが、この選挙で民主党政権が発足したとしても、トランプ政権による8年間の政策の空白があった直後に、野心的なポスト2030年目標を具体的な政策の裏付けを持って提出することは非常に難しいと考えられる。なお、2025年の目標提出に先立って、2022年から2023年にかけて、グローバルストックテイクと呼ばれる世界全体での協定実施状況の評価が行われるが、離脱が長期化する場合、米国はこの評価にも参加しないことになる。
3. COP25への影響
大統領選挙の結果と連動する中長期的な影響に加えて、短期的には、今年12月にスペインの首都マドリードで開催されるCOP25における米国代表団への影響が考えられる。米国代表団は、2017年6月のトランプ大統領による脱退表明後も、パリ協定の実施指針を巡る交渉に建設的に関与し、交渉を進める原動力となってきた。トランプ大統領は脱退意向を表明しつつも、「米国にとって公平な条件で、パリ協定、またはまったく新しい取り決めに再加入すべく交渉を開始する」とも述べ、協定に残留する可能性を完全には消さなかったため、米国代表団は脱退を基本線としつつも、残留の場合に備えて、前向きに交渉することが可能であった。しかし、今回の脱退通告は残留の可能性を打ち消すものであり、COP25以降、これまでのような積極的な役割を果たすことは困難となるだろう。
マドリードでは、気候変動枠組条約の第25回締約国会議(COP25)に加えて、京都議定書の第15回締約国会合(CMP15)とパリ協定の第2回締約国会合(CMA2)が開催され、交渉される諸議題は、これらの3つのどれかの下に置かれている。米国はこの時点では、気候変動枠組条約の締約国であると同時に、脱退が未だ効力を持っていないことから、パリ協定の締約国でもあり、COP25とCMA2の交渉に参加できる(注6)。
ここで問題となるのは、たとえ交渉に参加する権利を有していたとしても、脱退を通告した後に、パリ協定に関わる議題を交渉することが道義的に許されるのかということである。COP、CMP、CMAはコンセンサスによって意思決定を行っており、他の全ての国が賛成しても、米国が反対すれば合意を採択できないことになるため、この問題は重要である。実は、同じ問題は、ブッシュ元大統領が京都議定書からの離脱を表明した時にも生じた。当時、京都議定書は未発効であったことから、議定書の実施規則に関する議題は、米国も参加するCOPの下に置かれていた。この時、米国は交渉には実質的に参加せず、コンセンサスを妨害もしなかった。ただし、合意の採択後に、「米国には京都議定書を批准する意思はないが、他国が前に進むことを止めることもしない。京都議定書の実施規則の採択に関するコンセンサスを妨げなかったことは、議定書は良い政策(sound policy)ではないという米国の見解を変えるものではない」と発言した(注7)。米国代表団を率いる国務省は、COP25においても、この前例を踏襲するのではないかと筆者は予想する。
4. 他国はどう対応すべきか
2017年6月1日にトランプ大統領が脱退意向を表明した時点では、協定残留の可能性が残されていたうえに、脱退通告が可能になるまで2年半程度の時間があったことから、他国にとっては、トランプ政権に対して、協定残留を働きかける意味があった。しかし、今回の脱退通告によって、トランプ政権のパリ協定に対する態度は固まり、残留に向けた働きかけが意味をなさないことが明確になった。
他方、ポンペオ国務長官は脱退通告を発表すると同時に、「国際的な気候変動に関する議論においては、現実的で実用的なアプローチを提示し、イノベーションと市場開放によって、繁栄、低排出、エネルギー源の一層の安定性が導かれることを示し続ける。気候変動影響へのレジリエンスを強化し、自然災害に対する事前準備と事後対応を行うべく、グローバルなパートナーとの協働を続ける」と表明した。パリ協定からは脱退するが、国際的な気候変動対応として、イノベーション、市場開放、自然災害対応は続けるという趣旨である。しかし、これらの対応はパリ協定と矛盾するものではなく、協定に残留しても実施可能である。
既に述べたように、パリ協定は脱退ドミノが起こりにくい構造を採用しており、米国の脱退通告後も、世界の気候変動対策を支える中心的な国際条約であり続ける。しかも、来年の大統領選挙で政権交代すれば、新政権のもとで求心力が一気に高まる可能性もある。したがって、他国にとっては、今回の米国の脱退通告に動揺することなく、各国が協定の下で掲げる気候変動対策を着実に進めていくことが重要である。そのうえで、来年の大統領選挙後に向けた準備、具体的には政権が交代する場合に起きるであろう米国の気候変動外交の転換への備えと、トランプ政権が継続する場合における離脱長期化による悪影響への備え(たとえば同政権が主張する代替的なアプローチへのパリ協定を阻害しない範囲での関与やパリ協定を支持する州との連携など)を進めておくべきである。