2019年3月27日 |
TV観戦以外にスポーツとは縁がない私がこのようなことを論じるのは僭越の極みではありますが、そのプレーのみならず語録にも注目して来ただけに、一入の感慨をもってイチロー選手の引退表明を受け止めた次第です。彼の言葉は、ウィットに富みながらもよく磨き抜かれており、野球だけに限らず人生行路においていろいろな教訓を与えてくれるように思えます。
引退会見で、子供たちへのメッセージを問われたイチロー選手は、次のように答えました(注1)。
「野球だけでなくてもいいんですよね、始めるものは。自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つければそれに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしいと思います。 それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁にも、壁に向かっていくことができると思うんです。それが見つけられないと、壁が出てくるとあきらめてしまうということがあると思うので。いろんなことにトライして。自分に向くか向かないかよりも、自分の好きなものを見つけてほしいなと思います。」
当コラム(注2)でもご紹介しましたが、私は日頃中堅・若手メンバーに「目標」を持て、と話しています。上のイチロー選手の言葉は、手前味噌で恐縮ですが、同じ趣旨のことを話しているように思いました。
もう一つ、イチロー選手の言葉でご紹介したいものがあります。
『野球界では「練習は裏切らない」と言われますけど、練習は裏切ります。錯覚を与える場合があるんです』(注3)
私はこの言葉を、毎年の新入職員研修のときに話していますが、意味の説明はせず、各々考えるようにとだけ言っています。イチロー選手の感覚と私のそれとは天地の開きがあるとは思いつつ、私の解釈を述べさせて下さい。
練習は裏切らないと思います。もちろん、無計画かつ出鱈目に練習しても、それは単なる時間とエネルギーの浪費に終わるでしょうが、しっかりプロセスとゴールを見据えて練習するのであれば、練習を重ねた分だけ自らを成長させます。イチロー選手の「熱中できるものを見つけて、それに向かってエネルギーを注ぐ」という言葉は、ゴールを見据えて練習に取り組むという意味でも重要だと思います。
しかし、自分がどれほどの実力であるか、どれほど成長したかは、日頃はそれほど正確に評価したり認識したりすることは難しく、むしろある日突然「おや、自分はこれほども成長していたのか」と気づくことがほとんどだと思います。逆に、自分が成長を自覚するほどには成果が出ず、悔しい驚きを感じることもあるでしょう。
大切なことは、予想外の成功であれ期待外れの失敗であれ、それはその時の自分の実力の現れなのであって、いかなるときもそれを謙虚に受け止めた上で、次の成長に向けて努力する、その糧にすることだと思うのです。
目標を見定め、常にそれを見据えて謙虚に努力する。イチロー選手の来し方に改めて思いを馳せ、その業績に深甚の敬意を表し、新たな日々の幸多からんことを祈りつつ、改めて自らの生き様への教訓としたいと思いました。
【余談】「外国人」イチロー選手の2004年
最後に、私にとって印象深いシーンを少しだけ振り返らせて下さい。2004年といえば知らぬ人なき、MLB史上最多安打記録を更新(注4)した年です。私も毎日TVでその道のりを固唾を飲んで見守っていました。その過程で、印象深い3つの出来事がありました。
・3試合15打数11安打、打率0.733
2004年9月20-22日、敵地での対ロサンゼルス・エンジェルズ3連戦で、イチロー選手は4打数2安打、6打数5安打、5打数4安打、と打ちまくりました。長打こそありませんが、ライナーあり内野安打あり、右から左へ打ち分け、敵からみればもはや打ち取る術なしと思わせるほどでした。9/10以来若干調子を崩していたように見えたイチロー選手ですが、この固め打ちで記録更新がすっかり射程に入った、その意味でも大きな3連戦でした。
・バーリー投手の脱帽
遡ること2週間、9/4のシカゴでのホワイトソックス戦、相対する先発投手は当時MLB最高の左投手、マーク・バーリー。この試合でイチローは5打数5安打、敵地にも拘わらず満場のスタンディング・オベイションを受けました。しかも、そのうち4安打を喫したバーリー投手は、4本目を打たれた7回表終了時、塁上のイチロー選手に向かって帽子を取って一礼したのです。これにはイチロー選手も破顔一笑で応え、人間性にも優れた両選手のお互いへの尊敬の念が感じられ、何とも印象的でした。
・そして新記録達成の瞬間
10/1、地元シアトルでのテキサス・レンジャーズ戦。達成後に自軍全選手から祝福されたイチロー選手は、その後1塁側スタンドに駆け寄り、それまでの記録保持者シスラー選手の遺族に丁寧に挨拶し、シスラー氏のご子息やお孫さんたちも暖かい祝福を返しました。
イチロー選手は引退会見で、アメリカのファンについて「最初は厳しかったですよ(中略)だけど、結果を残した後の敬意というのは(中略)その迫力はあるなという印象ですね。なかなか入れてもらえないんですけど、入れてもらった後、認めてもらった後はすごく近くなる」(注5)と話しました。この2004年のシーンは、それを象徴するものに映ります。さらに言えば「外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり」(注6)という経験をしたイチロー選手が、「アジア人最高のMLBプレイヤー」との評価から自力で「アジア人」の4文字を取った、真のMLB選手として受け入れられた(注7)、つまり外国人であることを乗り越えた決定的な場面だったように感じた次第です。