2017年06月07日
トランプ大統領は2017年6月1日(現地時間)にホワイトハウスで演説し、パリ協定からの脱退を表明したが、その際、具体的な脱退方法は示さなかった。しかし、6月2日に環境保護庁(EPA)のプルイット長官がホワイトハウスで記者会見し、脱退方法に関して示唆のある内容をコメントした。その発言を踏まえつつ、脱退方法の選択肢について、現時点(日本時間の6月6日)までに得られている情報をもとに考察する。
1. 脱退方法の選択肢とプルイット長官の発言
パリ協定の脱退規定(28条)によれば、協定発効から3年後の2019年11月4日から脱退の通告が可能になり、通告した場合には、その1年後に正式脱退となる。つまり、脱退日は最も早くても2020年11月4日であり、次回の大統領選挙の翌日にあたる。ただし、パリ協定の親条約である気候変動枠組条約(UNFCCC)を脱退すれば、パリ協定からも脱退したものとみなされる。UNFCCCの脱退規定(25条)によれば、現時点ではいつでも脱退を通告可能であり、通告から1年後にUNFCCCからの脱退が完了する。そのため、UNFCCC脱退を速やかに通告すれば、2018年にUNFCCCとパリ協定の両方から脱退できることになる。
プルイット長官は6月2日の会見で、司法省がパリ協定からの脱退方法を検討中であるとして明言は避けたが、「ご存じのように、我々はUNFCCCの一員であり(中略)今後も関与を続け、合意に取り組み、米国の利益を第一とする成果を達成するように努める」(注1)とも発言し、UNFCCC脱退は選択肢には含まれていないことを示唆した。もちろん、この発言だけでUNFCCC脱退という選択肢が完全に排除されたとは言い切れないが、トランプ大統領も演説で「再交渉」の意図を示しており、UNFCCC脱退によって、完全に交渉のテーブルから離れる選択はしないのではないかと著者は考えている。(もちろん、UNFCCC以外の場にテーブルを移すことも考えられるが、他国はほとんど応じないだろう。)
そうなると、残りの選択肢はパリ協定28条に従って、2020年まで時間をかけて脱退手続きを進めることになるが、この方法では、手続きが完了するのが最速でも次回の大統領選挙後となる。仮に現政権が1期で終わり、民主党に政権が交代することになれば、2021年1月には次期政権のもとで協定に復帰することになるだろう(注2)。これではトランプ政権にとって脱退の意味があまりないことになってしまうので、何か別の方法を検討するのではないかと思われる。
2. 「上院送付」という選択肢
もう1つの選択肢として、パリ協定からの脱退運動を主導した保守系団体(Heritage FoundationやCompetitive Enterprise Institute)の関係者が、協定の「上院送付」という方法を提案している。これらの団体の関係者は、オバマ前大統領が締結する前の段階でも(注3)、トランプ大統領の就任後も(注4)、そしてトランプ大統領の脱退表明後も(注5)、パリ協定を上院に送付し、パリ協定締結承認の可否を採決に付すことを主張してきた。
この主張の背景にあるのは、オバマ前大統領が議会に諮らずにパリ協定を締結したことである。合衆国憲法は「大統領は、上院の助言と承認を得て、条約を締結する権限を有する。但し、この場合には、 上院の出席議員の3 分の2 の賛成を要する(注6)」(第2条第2節2項)と定めているが、オバマ前政権は、パリ協定は上院送付という手続きが不要な「行政協定(executive agreement)」であるとして、上院に諮ることなく、2016年9月3日に締結した。オバマ前政権は行政協定とみなせる理由を詳細には明かさなかったが、一部の法学者らは、パリ協定の義務は憲法や既存法の下で大統領や行政府に与えられた権限で実施可能であることなどをその理由として挙げていた(注7)。他方、上記の保守系団体等は締結前から上院に送付すべきであると主張していた(注8)。そして、プルイット長官は6月2日の記者会見で「批准のために上院に提出されるべきであった」と発言した。トランプ大統領もその意図するところは明確ではないが、脱退表明演説の中で「深刻な法的な憲法上の問題もある。(中略)我々の憲法は世界中の全ての国の中でも特別(unique)なものであり、それを守ることは私の最大の義務であり、また名誉でもある」と発言した。
トランプ政権は司法省で脱退方法を検討中であるが、その選択肢に上院への送付が入っているのかは不明である。ただ、政権内で脱退を強く求めてきたプルイット長官が上院に送付すべきであったとの意見を持っていることを踏まえると、この選択肢が最初から外されているとは考えにくい。また、政権内の脱退派はその理由の1つとして、パリ協定に残っていると、国内の排出規制見直しに対する訴訟理由になりうると主張していた(注9)。仮にその主張が正しいとすれば、2020年まで時間をかけて脱退すると、それ以前に始まることが考えられる訴訟で不利になってしまう。他方、脱退までに要する時間が短いUNFCCC脱退を視野に入れていないのであれば、別の方法が必要であり、政権側はパリ協定を上院に送付し否決させることで、パリ協定の国内的な意味を打ち消すことを考えるかもしれない。
現時点では上院送付は一部の保守系団体の提案に過ぎないが、トランプ大統領がそれらの団体が主張してきた協定脱退を受け入れたことから、その可能性を排除しきれない。また、後述するように、上院送付は将来的な協定復帰に大きな影響を与える可能性があり、その点でも無視しがたい。
ただし、上院送付の可能性が高いとも言えない。というのも、大統領による脱退という判断を上院に再度判断してもらうことを意味し、上院にボールを渡してしまうことになるためである。特にトランプ大統領は自分で決めるということにこだわりがあるように思われ、既に自分で決めたことを他者に委ねるという形を好まないかもしれない。
以下では、可能性は高いとは言えないが、使われた場合の影響を無視できない選択肢の1つとして、「上院送付」に伴う論点について考察する。脱退方法全般については、アリゾナ州立大学のボダンスキー教授の論考と議会調査局のマリガン氏の論考が発表されており(注10)、そちらを参照いただきたい。
3. 上院送付提案の論点
@共和党議員の票読み
仮にトランプ政権がパリ協定を上院に送付し、締結承認に関する投票が行われる場合、憲法が締結の要件とする3分の2以上の賛成を得られるだろうか。
現実的には極めて難しいと言わざるを得ない。上院の定数は100名であり、全議員が投票する場合、必要な賛成票は67票となる。つまり、34人以上が反対すれば可決できない。現在、共和党の議席数は52であるが、このうちの19人以上が賛成に回る必要がある。もちろん、共和党の中にもパリ協定残留を支持する議員がいるが、19人以上は極めて高いハードルである。
たとえば、2015年には人為的な気候変動の有無についての投票が行われたが、存在するとの立場をとった共和党議員は15人であった(注11)。このうちの数名は昨年の選挙で敗れ、また別の数名はトランプ大統領に対して協定脱退を求める2017年5月の書簡に署名した(注12)。このことからパリ協定残留を支持する共和党の上院議員は最大でも10人程度と推測される。全世界の注目を集める中で投票が行われれば、態度を変える議員が出てくるかもしれないが、それでも19人以上に達するのは難しいだろう。
そのため、パリ協定が上院に送付され、その承認への投票が行われれば、否決される可能性がかなり大きいと言える。
A脱退方法への影響
では、上院で否決された場合、脱退方法にどのような影響があるだろうか。上院送付の出発点はオバマ前政権による締結が不適切であったということであり、論理的一貫性をとるならば脱退ではなく、締結を取り消すべきということになるだろう。脱退は締結を前提としたものであるため、脱退という行為は前政権による締結を追認しているとも受け取られかねないからである。
しかし、締結取消はかなり極端な方法であり、政治的にも法的にもハードルが非常に高い。そのため、仮にパリ協定が上院に送付され否決されたとしても、取消には踏み込まず、2019年11月4日を待って脱退を通告する方が可能性としては高いと筆者は考える。以下にトランプ政権が締結取消を主張し始める可能性が低いことを整理しておく。
条約法に関するウィーン条約の46条1は「いずれの国も、条約に拘束されることについての同意が条約を締結する権能に関する国内法の規定に違反して表明されたという事実を、当該同意を無効にする根拠として援用することができない。ただし、違反が明白でありかつ基本的な重要性を有する国内法の規則に係るものである場合は、この限りでない」と定めている(注13)(注14)。つまり、原則としては国内法の規定違反を締結無効の根拠には出来ないが、重要な規定への違反が明白(manifest)である場合にはこの原則が適用されないということになる。
また、46条2は違反が明白であるかどうかの基準として「違反は、条約の締結に関し通常の慣行に従いかつ誠実に行動するいずれの国にとつても客観的に明らかであるような場合には、明白であるとされる」と定めている。つまり、他の全ての国が違反は客観的に明らかと考えることが要件となっている。
この要件が実際的にどのように適用されるのかは筆者の専門性を越えており判断できない。ただ、直感的には、米国がこれまでパリ協定と同様の方法で数多くの行政協定を他国との間で締結してきた事実を踏まえれば、オバマ前政権によるパリ協定の締結が全ての他国にとって客観的に明白な違反とは言いにくいのではないかと思う。また、気候変動分野に詳しい法学者であるボダンスキー教授は「大統領の条約締結権限を取り巻く不確実性を考慮すれば、オバマ大統領はパリ協定参加の権限を明白に欠いていると、妥当な形で主張することはできないかもしれない」と述べている(注15)。
このように、条約法に関するウィーン条約の規定を踏まえるならば、締結取消のハードルは高く、トランプ政権はこの方法を取らない可能性が高いと筆者は考える。また、万が一、トランプ政権が締結取消を主張し始めたとしても、それが認められる可能性は低く、結局、通常の脱退手続きに沿って2020年11月4日まで時間をかけて脱退するのではないかと考える。
B協定再加入への影響
仮に上院がパリ協定を否決し、トランプ政権が協定からの脱退を確定させたとしよう。その場合、将来の政権が協定に復帰したいと考えたときに、上院に諮らずに行政協定として再加入することはできるだろうか。
普通に考えれば、上院の意思が投票によって示された中で、大統領の権限だけで復帰するのは難しいと思われる。1952年の連邦最高裁判決でジャクソン判事が示した見解では、「大統領が、議会による明示的または暗示的な意図に整合しない措置をとる場合、大統領の権限は最小限にまで衰退する」とされている(注16)。また、仮に締結取消が認められた場合には、大統領の権限での復帰は非常に難しくなるだろう。
他方、オバマ前政権で国務省のリーガルアドバイザーであったイェール大学のコー教授は2017年1月に発表した論考の中で、大統領は憲法と既存法の下で協定実施に十分な権限を与えられており、行政協定として扱うことは「議会が当該問題に対して憲法上の権限を強く主張したとしても、議会の承認は高いと言えるため、合憲(constitutional)である」との見解を提示している(注17)。(ただし、「議会の強い主張」の中に上院での否決を含めているかは読み取れない。)
この点も筆者の専門性を越えており判断できないが、上院に送付され、否決された場合には、将来の復帰に不透明感が増すのは確かだろう。
C米国内への法的影響
協定脱退派はその主張の根拠として、パリ協定が国内の訴訟において規制見直し反対の理由に使われうることを挙げていた。気候変動交渉のリーガルアドバイザーを長年にわたって務めた元国務省のビニアズ氏とボダンスキー教授は、そもそもパリ協定には国内法としての法的効力はなく(自動執行的ではない(non self-executing)という)、訴訟で用いるのは難しいと解説しており(注18)、筆者もその解説が正しいと考えるが、仮に脱退派の主張が正しいとすれば、排出規制見直しへの訴訟リスクを減らすために、パリ協定の国内法としての効力を打ち消す必要が出てくるだろう。
トランプ大統領は脱退表明演説で「本日時点で、米国は、非拘束的なパリ協定の全ての実施と、協定が我々の経済に押し付ける厳しい財政的・経済的負担を停止する。この中には、自国決定の貢献(※筆者注:削減目標のこと)と緑の気候基金の実施終了が含まれる」(注19)と宣言した。脱退手続きを完了しない中での実施中止の宣言にいかなる法的な意味があるのかは不明であり、脱退派が懸念する訴訟リスクが減じたのかもよく分からない。
また、この宣言に加え、上院による否決があった場合に、訴訟リスクが減じるのかは、筆者の専門性を越えており、判断できない。既に述べたように、プルイットEPA長官は脱退方法を司法省で検討中と説明したが、外交を担う国務省ではなく、司法省で検討している理由は明かされていない。もしかしたら、国内法上の意味合いも検討課題になっていることがその理由かもしれない。
4. まとめ
現時点では司法省が脱退方法を検討中であり、本当に上院送付に踏み切るのかは不明である。上院送付の可能性が完全に排除されているとも、その可能性が高いとも言えない。
仮に協定が上院に送付されて否決されれば、将来の政権による再加入について、先行きの不確実性を増し、今後の展開の予測が難しくなる。他方、脱退方法については、条約法に関するウィーン条約の規定を踏まえれば、影響はほとんどないと思われる。また、米国内での法的な影響についてはよく分からない。
根本的な論点は大統領に協定締結の権限があるのという点であるが、オバマ前政権はパリ協定だけではなく他分野についても大統領の権限を拡大してきたと評価されており(注20)、また、そのことが議会(特に共和党議員)の強い反発を招いてきた。上院送付はそうした不満に応えるものであるが、パリ協定と米国の関係は一層複雑なものになり、他国はその難しい状況のなかで米国の巻き込み(たとえば協定への復帰や技術開発普及などの協力)を検討しなければならなくなる。