2016年9月16日
今でこそ社会科学の真髄らしきものを偉そうに(半ば受け売りで)語っている私ですが、元は工学部の出身、技術やそれに惚れ込んで全身全霊を注ぎ込む「職人」には、強いシンパシーを感じます。
今回は、夏休みに読んだ本の中で、そのような技術者気質を強く感じさせてくれた、ジャンルとしては恐らく「伝記」ないし「偉人伝」を、2冊ご紹介させて下さい。
○大西康之「ロケット・ササキ」(新潮社)
早川電機、現シャープの勃興を支えた技術者、佐々木正氏の足跡を辿ります。その過程では、序章で既に若きスティーブ・ジョブズ、孫正義両氏との邂逅が語られます。
佐々木氏は優れた科学者にして、その科学的基礎に裏打ちされた独創的なアイディアを猪突猛進型で実現してしまう技術者でもあります(その突進に巻き込まれた部下の方々は大変だったでしょうね)。
しかし、同時に優れた経営者でもあった点も忘れてはならないように思います。常に顧客の利便性やアメニティ(佐々木氏の活躍した時代にはこの語はまだ頻用されてはいなかったようですが)を優先し、設定したゴール(ワイシャツの胸ポケットに入る電卓)に辿りつくためにはあらゆる努力を惜しまない。
さらには、優れたアイディアを囲い込むどころか、外部の異才との「共創」や、アイディアを広く日本のために役立てるよう開放するなど、常に広い視野で将来を捉えます。
なお、この「共創」に対して、「独創」を主張するノーベル物理学賞受賞者・江崎玲於奈氏(これも佐々木氏が目をかけ、育てた天才です)との論争は、允に興味深いものがあります(結局この論争は、江崎氏の子息の結婚披露宴の席上で、佐々木氏の「共創」に凱歌が上がります)。
ラストシーンでは、晩年の佐々木氏が、全く新たな着想で開発されつつあるロボットの試作機(歩き、話し、翻訳し、メールを読みあげる)を、「孫をあやすような手つきで撫で上げる」味わい深い情景が描かれます。
その後シャープは、報道のとおり、台湾・鴻海精密工業による買収に合意がなされ、日本の大手電機メーカーとしては初の外資系企業傘下となりましたが、佐々木氏はどのようなまなざしで現在の同社の姿を見守っているのでしょうか。
それにしても、「裸足」の「白人の大男」にして「髭を伸ばし放題」「近くにくると強烈な体臭」のするジョブズ氏、「小柄で、髪を肩まで伸ばした」「クリクリとした目を見開いて、唾を飛ばしながら」「途方もない未来の話をする」孫氏を、「面白い話をする男だ」と意にも介さず受け入れ、後に彼らにチャンスとアイディアを与え、飛躍のきっかけを惜しげもなく切り開いてみせる佐々木氏の度量には、全く感じ入る次第です。
佐々木氏のようなレベルでは無理かもしれませんが、私も異能の才あれば見過ごすことなく目をかけてみたいものだと思います。
その佐々木氏にして、家族を顧みることなく猪突猛進しては、淨子夫人に厳しく諌められ、頭の上がらない、何とも人間らしい一面も見せてくれます。
偉人伝として痛快かつ感動的、さらには自らの今後に向けた指針も授けてくれる書だと思います。
○稲泉連「豊田章男が愛したテストドライバー」(小学館)
研究とは畑違いではありますが、車(ここではあえてカタカナで「クルマ」と書かせて下さい。
単なる移動する箱ではなく、乗って楽しく、いつまでも乗り続けていたいと思える車、この書の登場人物が目指したものを、私自身こう呼びたいと思いました)を愛し抜き、一切の妥協なくその開発と試乗を繰り返した、真のプロフェッショナルである成瀬弘氏の半生と、後のトヨタ社長・豊田章男氏との交流が濃密に描かれます。
現場を知り、商品であるクルマを自ら体感することで、初めてものづくりのトップたり得ることを、身を持って教え込む。それは出世のためでも虚栄心のためでもなく、ただ自らのプロ意識のなせる業でした。
実は研究の現場でも、実験装置の設計や調整に抜群の職人技をみせる練達がいるものです。そのような強烈な拘りが、技術を組み上げ完成させるプロセスでは、最大の推進力となるのではないでしょうか。
実は、本書の終盤、快晴のドイツ・ニュルブルクリンク(本書の「舞台」といっても良い、伝説のサーキット)での成瀬氏の謎の事故死、そして豊田氏の弔辞を読み終えたばかりで、これ以上の言葉を紡ぎだすことができません。
よろしければお手に取って戴き、登場する技術者の群像と、彼らがクルマに懸けた想いを共有してみられてはいかがでしょうか。
技術立国たる日本がこれまで誇ってきた技術基盤を、風化散逸させることなく受け継ぎ、また新たな息吹を育て上げること。当所もその一端を担わせて戴ければ、と切に念願する思いを新たにさせてくれた2冊でした。