国際放射線防護委員会(ICRP)の主勧告は放射線防護体系の原則を定めており、日本でも規制基準の大元となっている。主勧告は定期的に見直しが行われており、2007年勧告が最新である。その発刊から十年以上が経過しているが、その間に40以上の出版物がICRPから刊行され、環境の防護の統合、放射線防護の倫理的な基礎の明確化、組織反応(確定的影響)に対する防護の検討などが行われてきた。
ICRPは2021年に「ICRP勧告を目的に適ったものとして維持するために」と題した論文を発表した。この論文でICRPは、2007年勧告に関する十年以上の経験を踏まえ、この間の教訓及び科学的知識の進歩、社会的価値観の変化、放射線防護の運用における進展を考慮し、どの分野に注意を払う必要があるかを評価するため、現行の防護体系の見直しを開始することを宣言した。現行の体系は充分に堅牢であるとしつつも、これまでの段階的な更新や、新たな科学的知見等を踏まえた様々な検討事項を反映させ、一貫性のある一つの資料を作成する機会としたいとしている。
ICRPは、世界中の組織や個人と、オープンで透明性が高いプロセスを通じて検討を行おうとしている。そのため、2年に一回、世界各地で開催されるICRPシンポジウム等での公開の議論を非常に重視している。
ステイクホルダからは、防護体系をより明確化することが求められており、そのため、一貫性とわかりやすさの向上を、優先度が高い課題としている。ただし現実は複雑で、また、放射線防護体系は緊急時のような不測の事態にも対処する必要がある。そのため、明確化のための過度の単純化は危険が伴うとして、可能な限りシンプルであるべきだが、幅広い状況、用途、シナリオに対処するために必要な限り複雑であるべきとも述べている。
前述の論文では、議論のたたき台として、放射線防護体系の中核的な構成要素を、「防護体系の目的と原則」「包括的事項(倫理的観点、コミュニケーション、教育と訓練)」「線量」「影響とリスク」に分けて整理して示している。このうち「影響とリスク」が、電力中央研究所で取り組んでいる生物影響と放射線防護に関わる課題であるが、「放射線誘発影響の分類(確率的影響・有害な組織反応)」「組織反応」「低線量・低線量率でのがん」「人の個別反応(個人の感受性)」「遺伝性影響」「異なる影響に関する放射線の重みづけ」「放射線デトリメント(被ばくに伴う損害)」「人以外の生物相と生態系における影響とリスク」が具体的項目として示されている。
本欄では、今回を含め計五回の連載を予定しており、遺伝性影響(第一回)、組織反応の中でも最も議論が進んでいる循環器疾患への影響(第二回)、放射線誘発影響の分類(第三回)、被ばくカテゴリーとデトリメント(第四回)、個人の感受性と公衆の理解(第五回)について紹介する。また、ICRPシンポジウムが、2023年11月に東京で開催された。そこでの議論についても紹介する(第三回)。
遺伝性影響は、放射線の悪影響が知られるようになった初期のころから、公衆の懸念の対象となっているものである。一方で、かねてから動物実験では観察されているが、人ではこれまでに有意に影響が検出された信頼のおける報告はない。放射線防護体系においては、影響があるものと予防的に考え、動物実験の結果を用いて外挿する形で、放射線リスク評価(デトリメント)に反映されている。科学的知見に大きな変化はないものの、ICRPや原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)が前回評価を行ってから約20年が経過している。そのため、遺伝性影響について最新の知見をふまえた再検討の必要性が指摘され、中核的構成要素の一つに挙げられている。
近年も、チョルノービリ原子力発電所事故で被ばくを受けた方の次世代影響の検討など、いくつかの新しい疫学的報告はあるが、全体として、人での遺伝性影響を支持する信頼できる直接的な証拠はないという状況に変化はなく、今後も丁寧に観察を継続する必要がある。この状況を踏まえて、どのように防護体系に反映するのか、今後の国際的な議論を注視していきたい。
電気新聞 2023年12月27日掲載