低い線量率での放射線被ばくでは、同じ線量でも高線量率の被ばくと比較して生物影響が低減する「線量率効果」がみられる。前回の寄稿では、この線量率効果の機構の一つとして「放射線誘発幹細胞競合」の可能性を紹介した。
極めて低い線量・線量率の放射線を被ばくした生体内では、個々の細胞に与えられる線量は不均一になる。例えば、ガンマ線の一飛跡が細胞核を通過したときに与えられる線量が1ミリグレイの場合、平均1ミリグレイのガンマ線被ばくでは、飛跡がまったく通過しない細胞核が約37%生じる。線量率効果の解明には、放射線被ばくの不均一によって誘発される幹細胞競合を実験的に実証していくことが重要である。
電力中央研究所(以下、電中研)では、腸管幹細胞から腸管の一部と同じ構造を持つ3次元培養臓器(以下、オルガノイド)を形成する技術を確立し、放射線を照射した幹細胞と非照射幹細胞を混合することで、線量が不均一となる低線量率被ばくを模擬している。このオルガノイドの幹細胞と非照射幹細胞の定量的解析から、競合の結果、照射幹細胞の割合が減少することを見出した。
しかし、実際の腸管内では、幹細胞と非照射幹細胞を混合して形成したオルガノイドの応答と異なる可能性もある。そこで、オルガノイド内の幹細胞に放射線を照射し、照射幹細胞が競合に負けて排除される過程の可視化にも挑戦している。
電中研では、2007年に「マイクロビームX線照射システム」を構築し、ビームサイズが細胞核よりも小さいアルミニウム特性X線を細胞核内に正確に照射する技術を確立している。しかし、アルミニウム特性X線では、厚みのあるオルガノイドは通過しない。そのため、腸管オルガノイド内の幹細胞にマイクロビームを照射できるよう、減衰距離が20倍以上長いチタン特性X線マイクロビームを照射可能なシステムに改良した。昨年、このシステムを用いて腸管オルガノイド内の幹細胞にマイクロビームを標的照射し、照射幹細胞がオルガノイドの内腔に排除される様子を世界で初めて捉えることに成功した。今後は観察数を増やし、定量的な解析を進めていくことになる。
電中研が取り組んでいる発がん研究は、放射線発がんリスクの高い腸管に着目したものであるが、放射線リスク評価の改善に反映させるには、他の臓器・組織についても知見を得る必要がある。しかし、生物実験により網羅的に解析することは困難である。電中研では、数理モデルを活用して腸管で得た知見を一般化するアプローチを開始している。これまでに、幹細胞競合を考慮した場合、高線量率の場合と比較して、低線量率では放射線影響が蓄積しにくいことを明らかにした。今後、生物実験と数理モデルによる相互フィードバックを通じて、生物学的に測定可能な指標を取り入れた線量率効果を予測可能な数理モデルを構築して一般化を図ることにより、放射線防護体系への成果反映に取り組む。
電気新聞 2021年3月3日掲載